新刊書籍『能装束精解 製作の現場から』レビューを3名の方に書いていただきました。それぞれの思いがこもったレビューをどうぞお楽しみください。
数年前のある日。米国の友人との約束に、私は初めて着物で参じた。刺繍入りの附下だったかと思う。着物を間近で見るのが初めての友人は、興味津々で私に尋ねた。「日本でその衣装はいつから着られているの？」突然の質問に戸惑いつつ、「よくわからないけど、7〜800年位前から？」と軽々しく答えると、友人は青い目を見開き興奮気味に言った。
「Amazing！君はそれがどんなにすごいことかわからない？僕達の国はまだ240年しか経っていないんだよ。なのにその衣装の歴史は7〜800年！なんと尊い文化の継承なんだ！」
（そうなんだ・・。）と赤面した。そして「継承」という言葉がその時私の脳内に刻まれた。
私は新参の能楽愛好者で、月に数度の観能を楽しんでいる。着物好きな私には、舞台上の演能と共に装束もまた楽しみの一つ。とりわけシテが纏う絢爛たる装束には毎度目を奪われる。本書において、装束の製作は原案から始まり、紡績、染、織、刺繍、箔・・と各工程についての解説がインタビュー形式で職人の言葉で語られ、現場の臨場感も同時に伝えられる。
全工程で各職人が一本の糸にまで神経を集中させ、緻密で精巧な作業に膨大な手間と時間を費やすことで完成される。
職人は長い修行を経て技術や経験を蓄え、それは又遥かな時を超えて人から人へ大切に伝えられてきたものであることを知る。
脳内で「継承」という言葉が再浮上する。舞台上の能装束は皆、煌びやかで美しい。
同時にそれを陰で支え続けてきた人々の苦労と努力も図り知れない。しかし需要や職人の減少に伴い、現場では楽観できない暗雲が存在することも事実のようだ。
かつて文化を底から保護してきた幕府も今はない。あとがきにおける佐々木洋次氏の「蓄積してきた技術や知識をここで絶やすことはできない。」との言葉が胸に響く。装束の知識書としてもありがたいほど十全な解説に加え、後進への切実な願いが込められた貴重な書にようやく出逢えた。これを機に「尊い文化の継承」の意味を深考しなおしたいと切に思う。
赤川 絵美子
「能装束精解」という題名の通りに、本当に惜しみなく装束の一つ一つ、被り物、小道具、また装束のたたみ方など豊富なお写真を交えて丁寧に教えていただき、後世のためになるとてもすごい本だと感じました。
能楽愛好家の方だけではなく、能楽師の方が読まれてもすごく勉強になるのではと思います。
観世清和ご宗家の「魂の宿る装束の上は跨がない」という巻頭言からすごいと感じました。 江戸時代に大名たちが競って能装束を注文するようになり、金箔の入れ方や紋様のデザインなどどんどん進化、複雑化していったことに驚き、江戸時代の文化の豊かさを感じました。
かつては能楽関連の産業規模がとても大きかったので、たくさんのお店で分業でなさっていたのが、今では能衣装を専門で作られているのは佐々木能衣装さんだけで、市販で手に入らなくなった糸や道具まで自作なさっていると知り驚きました。
能楽界のために佐々木能衣装さんが果たされている役割は本当に大きいと思います。 今の便利な道具を使っても数十年先を見越して作られていないので、長所だと思って使ったのが欠点に変わっていく恐れがあったり、早く駄目になることがあるというのは、とかく短期的な利益を求められがちな現代で警鐘になるのではと思いました。
能装束の格式として見えないところでもしっかり刺繍を入れ、隠れるところであってもちゃんと着物としての形に仕立てるということに感銘を受けました。
佐々木能衣装さんのお仕事から、装束を消耗品としてではなく魂の宿るものとして丁寧に作り、身にまとい、受け継いでいくという能楽の精神が表れていると感じました。
とても大変なお仕事で大変な環境にあると思いますが、能楽界や日本の文化のために何としても次やその次の世代の方に受け継がれますように。
また私もできるだけ舞台を見に行き、友人たちを誘って能楽の輪を広げて行きたいと思います。
「能装束精解 製作の現場から」を読む
＜何と密度の高い書物＞。初めてこの書を手にした時のずっしり感は、軽い驚きだった。能装束のあれこれが印刷されたカバーにひとしきり見入った後、ページを繰り始める。
冒頭の口絵（16ページ）のみならず、ほぼ240ページに及ぶ本文全体が、上質の紙で作られている。＜何と密度の高い…＞という第一印象は、読み始めるとすぐに、物理的な密度をあっけなく超えて、能装束という伝統工芸の世界で、縦横無尽に展開されて行った。
日本で唯一の能装束専門店（工房）、京都の佐々木能衣装の四代目、佐々木洋次氏へのインタビュー（雑誌『観世』連載）が土台となる本書。読み進むうちに、能装束全般への具体的な知識が、一気に深まる感動を体験する。それを超えてなお迫り来るものが、佐々木氏の超人ぶりとそれが放つ深い魅力。氏は現在、能装束作成において、国の選定保存技術保持者に認定されている。
佐々木氏は自ら糸を染める。それを複雑極まる手法で織り、味わい深い装束へと縫い上げる。外注する縫箔（刺繍）の文様などは、自らパソコンで書き上げる。ゲストとして登場する刺繍作家の長艸（ながくさ）敏明氏を加えてのインタビューはそこはかとないユーモアもあって…。
全面的に製作を第三者に依頼する、組紐類や烏帽子など冠り物（かぶりもの）などについては、能楽特有の様式を細やかに伝えて製作にかかわる。摺箔など、今や消え入りかけた技術に心をくだく。貴重な古い装束の復元に努める。自社の公式ホームページに能装束に関する詳細な解説を載せる（本書の解説部分はこの記載によるところが大）。自ら能を謡い、舞う…。
17世紀後半の記録では、能装束に関わる業種は唐織屋・熨斗目屋・水衣屋と言う様に、分業体制にあったらしい（本書P30~32）。ところが今や、唯一の専門製作工房として、分業とは真逆の集中と言うかたちで、数多くの種類の装束を手がけている。佐々木氏はまさに、華麗な唐織の地紋。全体を支え調和へと導く確かな土台。世界を支える巨人そのものなのだ。それ故にインタビューの中でも、複雑精緻な布の織り方、微妙な違いなどの解説には熱を帯びる。本文中にもその理解を助ける写真や図が多数収録され、参照ページが注記されている。それを理解しようとページを行きつ戻りつしながら読み続けるには、それなりの忍耐が必要かも知れない。特に前半部分で、その傾向が顕著である。その時ふと目覚めたのが、これを映像記録として観たいとの思いだった。
この書は、伝統技術を未来へ継承するという強い意志をもって、物理的にも内容的にも、時間に耐えるものとして製作された。よりよく理解する為にも、映像記録が加われば、さらに充実した未来への遺産となるだろう。
読み終えた今、編集部の小辰恭子氏の聞き出す力の凄さが、ひしひしと伝わって来て…。
